私は三十歳迄は仏教に興味があり、仏像や寺院を見て廻るのが好きでした。勿論神社も見て廻りましたが、神社には寺院にあるような仏様の姿である仏像のように分かり易い象徴がないため、今ひとつピンとこなかったのかも知れません。ところが三十歳のある日、とある神前で神様とのご縁を頂いたのです。この神様は女神様で、後に木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)であると、私の裡で感じるようになり確信したのです。この出来事がきっかけで神社と神々に強く惹かれていきました。その頃から神道に関する書物を探しては読むようになりました。また古事記や日本書紀などを読むにつれて、ますます神道へ傾倒していきました。その頃は自分が神職になろうなどとは全く考えもせず、ただ神道、神社、神様について調べる事に夢中でした。でも、仏教を忘れたわけでは無く、私の裡では、キチンと存在していて、ある意味、仏教と神道がいつの間にか神仏習合していたようです。私にはその事に何の違和感もありませんでした。もともと私は仏教の中でも密教に興味がありました。真言密教も天台密教も、弘法大師空海も伝教大師最澄も好きでした。私は子供の頃、浄土宗の幼稚園に通っていましたが、疳の虫が強い子供だったようで、時々、川崎大師に連れて行かれ、疳の虫封じなる儀式を受けました。父親も門前の参道にあった、鍼灸院でお灸を受けるのでした。そんなこともあり、弘法大師のお名前は子供の頃から親しみがあったのです。そして数十年という年月が経ち、天照大御神荒御魂を御祭神とされる、とある神社の宮司とご縁を頂き、神道について修業させてもらえることになり、神職の階位を授けて戴きました。その後、高野山真言宗の本山である、金剛峰寺にて、金剛界結縁灌頂を受けて、大日如来様との結縁を授けて戴きました。仏教が日本に伝えられたのが538年頃と言われ、それから暫くして、政治の世界に仏教の力が大きく関わりをもってくると、古代神道が仏教に吸収されるような形で神仏習合していきました。その後1000年以上も神仏は習合していたのですが、明治時代初期の神仏分離令による廃仏毀釈により、無理やりに分離されたのでした。そもそも無理な話であり、私はこれにより、日本が古来から脈々と引き継がれた神仏の守護は弱まったと、考えています。そして国家権力者達により神道は国家神道に祭り上げられて、無残な戦争に利用されてしまったのでした。私は国家神道は現人神(アラヒトガミ)を祭り上げて、真の神様が不在の神道だったと考えています。誠に愚かで悲惨な歴史でした。このような事が二度と繰り返さないように、現在では、高野山真言宗と伊勢神宮の交流が定期的に行われているようです。お互いに協力しあって鎮護国家を祈っているのです。私も一人の神職として、平和がいつまでも続くように日々祈りを捧げています。
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